伊丹十三記念館

 「耳にバナナがつまっている男」というジョークを私は何度、人に話したことでしょうか。ある日、汽車にのると前席の男が耳にバナナをつめて座っている。なぜそうしているのか、考えあぐねてついに聞いてみることにした。
 「まことに失礼ですが、耳にバナナがつまっていますよ!」
  その男が答える。
 「何ですか?何とおっしゃいましたか?」
  もう一度聞く。
 「ミーミーニーバーナーナーガーツーマーッーテーイーマースーヨー!」
  その男がまた答える。
 「すみませんが全然聞こえないのです。何しろ耳にバナナをつめているものですから」
 このジョークは伊丹十三が1965年に書いたエッセイ「ヨーロッパ退屈日記」の中にあった。前年に東京オリンピックが開かれ、次の年にビートルズがやって来るという日の出の勢いが感じられる時代の寵児として伊丹は登場した。
 英国式紅茶のいれ方とか、スパゲッティーの作り方、食べ方、ロールスロイスの買い方、英語の母音、子音の発音の仕方など、その一字一句に心酔し、大きな影響を受けた本のひとつであった。
 伊丹十三は1933年、映画監督伊丹万作の長男として京都に生まれる。そして父が病死した後、故郷松山に移り、夏目漱石の「坊ちゃん」で知られる松山東高に通学する。ここでノーベル文学賞を得た大江健三郎と出会う。後に、伊丹の妹が大江と結婚する。19才で松山南校に転入。21才で高校を卒業し、大阪大学理工学部を受験するが失敗した。上京し商業デザイナーとなる。この頃「洋酒天国」の名編集長であった山口瞳と知り合い多くの教訓を受ける。ヴァイオリン、ギターを習い始める。楽器の演奏は欠かすことの無い人生の習慣となった。ギターリストの荘村清志とは母方の従兄弟関係とかで、プロ級のギターが今、松山市にオープンした伊丹十三記念館に展示してある。27才の時、俳優として大映に入社する。輸入映画会社であった東和の川喜多長政社長の長女和子と結婚。ここから世界の伊丹が始まる。ニコラス・レイ監督の「北京の55日」出演のためヨーロッパへ旅立つ。チャールトン・ヘストン、ピーター・オトゥールと共演。続けてリチャード・ブルックス監督の「ロード・ジム」にも出演。
 33才の時、和子との協議離婚を届出る。邦画としては増村保造監督の「偽大学生」、市川崑監督の「おとうと」、「黒い十人の女」、大島渚監督の「日本春歌考」、若松孝二監督の「金瓶梅」などがあった。36才にして宮本信子と再婚。50才の時、出演した「細雪」、「家族ゲーム」、「居酒屋兆治」での演技は俳優・伊丹の到達点だったと言われている。伊丹を俳優としては、今一歩という人もいる。しかし伊丹のすごいところは51才の時、封切られた「お葬式」を始めとする10本の映画監督としての腕前である。それまでの多彩で苦闘に満ちた人生がまさに監督業のための下積み時代であったかのように花開くのである。
 幼くして父を失い、父を捜し、父となり、父を越えた男の生き様が妻の宮本信子と建築家の中村好文の助けを借りて伊丹十三記念館の中に凝縮されている。中村好文は「十三」の名前にヒントを得て、展示室で俳優、エッセイスト、イラストレーター、料理通、映画監督など伊丹を13面相に見立てて表現している。2階の収蔵庫の中には、膨大な取材ノート、デザインノート、シナリオ、映画用衣装などとともに、使い込まれた辻留嘉一著「包丁控」、「向附」、「茶懐石」、「焼物」などの古書が36cm角の本棚に並び、彼の脳内の一部をかいま見る思いがした。
 「終り良ければすべて良いのである」と伊丹十三が館内のどこかからニタリと笑い、見透かしているかのように感じられたのは私ひとりであろうか。

 CIPAの見学会「松山、伊丹十三記念館・坂の上の雲美術館&内子探索の旅」についての感想を書くつもりでしたが、紙面の都合で上記のようになってしまいました。ご容赦下さい。
このツアーは7台の自家用車を中川圭子編集長の携帯電話からの狂言回しさながらの巧みで、心豊かなご指示と中川家若旦那のUターンという丁寧な予行演習を織り交ぜた新しい先導方式によって大成功に終わったことを報告致します。

                                      日高卓三

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坂の上の雲美術館
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弓削神社の屋根付き橋
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by cipa21 | 2008-01-31 16:20 | 研修旅行
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